大船渡の今(2012年夏)

Youth for Ofunatoがみた「大船渡の今」

 「地域」が抱える課題同じ地域にあっても、被災状況は個人によってバラバラです。仮設住宅団地に住む人・みなし仮設に住む人・被災を免れ、以前と同じように自宅に住む人…。ひとつの地域に複数の立場の人がいるのです。そして立場が違うということは、震災に対する思い、復興に対する思いも違うということ。この違いは、地域の「もとの姿」に傷をつけているように感じられます。


 その一例である、みなし仮設と仮設住宅の関わりについて。みなし仮設とは、被災した方に提供される一般の民家やマンションなどの既存の賃貸住宅を指します。被災して自宅に住めなくなったという事実は仮設住宅団地の住民の方と同じです。しかし、仮設住宅団地には、たくさんの支援物資やボランティアがやってきます。被災した方がたくさんいる場所だから。あたりまえといえばあたりまえのことでしょう。一方、みなし仮設はどうか。どこに誰が住んでいるのか。それは個人情報であるがゆえに、現地で活動を続ける支援団体であっても把握するのが困難だと言われています。それゆえ、支援が届きにくいのです。仮設住宅団地の知人を訪ねた際に、「快適なところで生活できていいね」「支援物資もらいにきたの?」「あなた仮設じゃないでしょ」と言われ、傷つき、仮設住宅団地に来づらくなったというみなし仮設に住む方もいます。

 震災がもたらした影響は、私たちの想像をはるかに超えています。もともとつながりが濃い地域であってもこのような問題が発生しているのです。  しかし、そのような地域であるからこそ、「この現状をどうにかしたい」と、「自ら」立ち上がっている方々がいます。杉下仮設住宅での夏祭りは、地域全体に招待状が送られていました。「仮設住宅団地に住んでいる人もそうでない人も、同じ地域の仲間として、もう一度皆で集いたい。」仮設住宅の住民の方々の、そんな強い思いがあったからです。 

複数の立場があるからこそ、一筋縄ではいかない、まちの再建。自分たちのやりかたで、自分たちのちからで。長い道のりを、ひとりでも多くの地域の仲間と歩んでいけたら「自分たちのまちを、もう一度、つくる」ことができるのでは、と思います。 


まちの様子

 昨年の夏、街には確かにそこに人々の生活があったのだと思わせるたくさんのモノが落ちていました。今ではそれらは一箇所に集められ、徐々に撤去されてきています。被災した建物の中には、解体作業が始まったものも…

 

  一方で、更地になった場所にできた商店街やたくさん植えられているお花は、「人がいる」「生活がある」しるし。少しずつ、いわゆる「被災地」の様子から「日常」の光景へと変わりつつあります。 



「二極化」のこと

 被災地では、<二極化>が進んでいると言われることがあります。ここでは、大船渡の方々の<姿勢の二極化>について感じることをお伝えします。

 現地の方々の姿勢は、着実に変化しています。重要なのが、<どう>変化しているかです。


 私たちがお手伝いさせてもらっている活動はすべて、「仮設住宅や地域の、人と人のつながりの形成」を目的に行われています。すなわち、主体は現地の方々です。今夏も様々なイベント(夏祭り、はまっぺし、ベンチ作りなど)が行われ、たくさんの方々の主体的な参加がみられました。

 

 例えば、夏祭り。企画・準備段階から、仮設住宅の自治会や青年組織の方々が主軸となって取り組んでいました。当日の司会進行や出店の運営も、私たちが「やってください」言わなくとも皆さんわいわい楽しく行っていました。

 

 長洞仮設の友結ファームもそうです。ファームで収穫した野菜を、友結ファーム委員会の方々が仮設住宅内で売り歩く姿。夏祭りの出店で、収穫した野菜を調理し、販売する姿。お祭りの参加者に「ファーム委員会の者です。よろしくお願いします。」と声をかけて回る委員の方の姿。

 

 そして、日常会話の内容にも変化が。以前は「あなた家はどうなったの」「どこから来たの」といった震災関連のいわば<過去をみている>会話。しかし今は、「孫がOOできたの」「今度OOしようと思って」といったごく普通の、あえていうなれば<未来をみている>会話がたくさん聞こえるようになってきました。

 

 昨年よりも、確実に、前を向いて歩んでいる方々がいることを強く感じます。とても嬉しいことです。

 

 しかし、見過ごせないのが、全員がそうではないということです。 印象的だったのが、長洞仮設住宅の夏祭りでのクイズ大会の準備でのこと。長洞や大船渡に関する問題を募集したところ、「大船渡で出たがれきの量は何トンでしょう」といった震災にダイレクトに関係する問題を作る人と、「大船渡はもうないのだから、問題など作れない」と考える人がいました。返ってきたのはとても対照的な答え。震災に対する意識には、大きな差があることを思い知らされました。

 

 また、なかなか心を開けず、ひとり悩み続ける人もいるようです。何かの活動に参加すること、知り合いがいない空間に飛び込んでいくこと、そして悩みを抱えながらもとにかく前に一歩踏み出していくこと。全部、勇気や心の余裕が必要です。

 

 でも、知り合いがいない。楽しみがない。外に出ていく心の余裕がない。前に進むためにはまだ背負っているものが多すぎる。そんな人がいます。

 

 その中でも特に、人との関わりを閉ざしてしまっている人は、発見されにくく、ゆえに支援が届きにくいと言われています。同じ地域の人や支援団体が訪ねても、なかなか悩みを打ち明けられず、ひきこもってしまう。自分と同じような境遇にある人の中には、もう仮設住宅を出て、自分の家に移った人もいる。いろいろなイベントに参加して、悩みながらも前に進んでいる人がいる。そんな人々を見て、自分と比較してしまい、さらに落ち込んでしまうのかもしれません。

 

 心にずしんと重い何かを抱えている人が、被災地にはまだまだいるのではないでしょうか。そんな人の存在は、震災当初から懸念されているそうですが、発見すること自体が困難なため、このままだと外に出ている人との差が開き、どんどん取り残されていくような気がしてなりません。

 

 地域や仮設住宅によってばらつきはあるものの、大船渡市全体に、否、被災地全体で起きている深刻な事態だと思います。

 

 早急な対応が求められる、とても難しく、かつ長い道のりの課題です。

 

 その道のりの中で、私たちは、何ができるのでしょうか。<心のサポーター>になれるよう、ひとりひとりに、心から、向き合っていこうと思います。